2012.3.11 日記

3月11日から1年。陸前高田での撮影を終えて、京都までの帰路の中で、自分と向き合う時間ができてしまい、色々なことを考えてしまう。自分発信の映像表現で少しでも復興に繋がる何かが出来ないだろうか?正直なところ、自分の映像表現なんて、娯楽みたいなもので、死活に関わる震災とは、まったく対極にあるものだとおもう。そのことは、震災が起きてからずっと考えてきたことで、ちょうど1年目の今日、被災地で手を合わせてきたことで、次に進んでもいいように思えた。でも自分発信の表現はものすごく大変な重荷になることは間違いないし、震災を理由に取り組んでこなかったところもある。そう、何も表現しない方が自分にとって楽なのである。だから一番苦しいことに目を逸らさず、自分発信の苦悩から逃げないこと。先月から3週連続で東北に呼ばれた理由を、そう捉えることにした。

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