ヒッチハイク



私がまだ26歳のころ先輩のカメラマンと二人で真冬の能登半島へ撮影旅行にでかけました。

鉛色の雲がたれ込める厳寒の能登の風景を求めて、私たちは波打ち際や岬を歩き回り写真を撮りました。

次の目的地までの移動は、海岸線を走るバスなのですが寒風が吹き抜け真っ白に凍ったバス停で長時間待つことが辛くなって来て、時折通りかかる乗用車に合図して乗せてもらうことにしました。

私たちは遠くの方から雪を蹴って走って来る1台の車を見つけ、大きく手を振りました。 二人とも髭づらで決して美しい身なりではなかったのですが、その車はすぐに止まり 凍てつく窓を開けた運転手は「どこまでいくの?」と警戒する様子もなく私たちに声をかけてきてくれました。

その出来ごとに気を良くした私たちは、能登半島一周の旅をこの経済的で便利なヒッチハイクという交通手段で、すべて終えた次第でした。

時は移り数年前、私はワンボックスカーに撮影機材をいっぱい積み込み横浜へ撮影に出かけました。 京都南インターチェンジの料金所の少し手前で三人の若者が「東京方面・乗せてください」とおおきな文字を段ボールの切れ端に書いて振っているではありませんか。

私はすぐに車を止め「荷物がいっぱいやけど乗っていく?」と声をかけました。
決して美しいとは言えない身なりの三人は荷物の隙間をぬって乗り込んできました。

私たちは横浜駅まで、彼らは東京ですから、「後は電車で帰ります」とおおよろこびでした。 よく見ると、一人は20代半ばの女の子であとの二人は同世代の男性で、どうやら彼らは一人旅らしく京都で出会って意気投合したらしいのです。

狭い車中ではそれぞれ自分のことを話したり 女の子からは少し身の上話も聞いたりして和気あいあいと6時間余を共にしました。

そして横浜駅で降りる三人から丁寧なお礼の言葉をもらった時 、30年ほど前、能登半島で受けた感謝の想いを今なんとなく返せたような、清々しい気がしたのでした。

亀村 俊二

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