カテゴリー別アーカイブ: photo essay

我が家の重量


先日、日経新聞に

「英国の進水したばかりの軍艦が一年に1インチ沈む」という記事が載っていた。

これは船の底に貝や牡蠣がついて沈むのではなくて

乗組員たちが一年間で買ったみやげ物や生活品の増えて行くことが原因であり

そのため持ち込みの制限をしているという。

 

ふっと、我が家の重量というものが気になりだした。

3階建ての鉄骨なのだがどうも2階3階に荷物が集中していて、バランスも悪い。

いろいろと、買い込んだ雑貨や本もあるが

その荷物のほとんどが今までに撮影して来たフィルムなのだ。

35ミリのスライドフィルムで一枚ずつプラスチックのマウントに入っている。

海外で撮影した写真、私が暮らす京都を写した写真がほとんどだ。

ファイルの引き出しが200ほど、入りきらないものは隅に重ねて積んでいる状態。

仕事で使った残りのフィルム、今はもう使っていない。

思い切って捨てることにした。

部屋の明かりに透かしてフィルムを見ると、撮影したときの記憶がよみがえる。

「こんなん、撮ってたんかあ」「これ、今でも使えるなあ」とか

仕事の写真に混じって家族の写真も。

あらためて、すべての写真に目を通すことにした。

あれこれ思い出にふけりながら・・・

 

長い年月、撮影して来たフィルムの整理とともに

ここらで、いちど人生の大掃除も始まった。

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遊牧民?



節電対策とこの冬の寒さに耐えるため

よい方法を思いつきました。

1階のスタジオ事務所から

3階の物置と化していた子供部屋にパソコンと周辺機器を持って引っ越したのです。

スタジオは天井が高く、寒くてたまりません。

かと言ってこの時世、エアコンを付けっぱなしなどできません。

撮影はスタジオで行いますが最近の写真の仕事といえば

ほとんどパソコンの前に座っての作業なのです。

1階と3階、少々不便ですがこれも運動不足の解消になるはずです。

 

南向きの大きな窓がある小部屋。

家の中でいちばん心地よい場所をやっと発見しました。

昼は明るく温室のようで、今のところ環境は抜群です。

 

実は、家の中で引っ越したのはこれが初めてではありません。

一時、仕事場にしていた2階から再度1階に戻っていたのです。

どうも私には理由を付けて家の中を移動する癖があるようです。

 

数年後また部屋を変わっているのではと少々不安は残ります。

歳とともに階段がつらいという理由で。・・・

亀村俊二


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経済を考える?



 

 

 

 

 

 

 

寒くなって来たので何か着るものはないかなあと押し入れを探していると昔パリで買った毛糸のベストが今年もまた出て来ました。パリ、というと高級ブランドのように思われますが市街から遠く離れた近郊のスーパーマーケットの店先のものです。グレーの毛糸のベストで、同じ物がサイズ違いで大量に吊って売られていました。made in Franceでもなければヨーロッパ製でもありません。20年もの間、ボタンひとつ取れたこともなく、毛玉も出来ていません。しっかりとした毛糸で大変暖かく、もう手放すことが出来ないものとなってしまいました。「長い間、着ているなあ」といつも感心させられます。
最近、普段に着る衣類は街の量販店で買うことが多くなりました。適度におしゃれで色も豊富で安いから買ってしまうのですが一年が過ぎると、色あせてなんだかすごく古くなった感じがしてシーズンが来ると、また同じ店に新しいものを買いに行くことになってしまいます。
せめて日本製でも安くて良い品がほしいなあと思うのですが安くて長持ちするとなれば、誰も新しい物を買わなくなる。買わなくなれば、生産や販売で働く人の給料が出せなくなる。そうなれば日本経済が益々悪くなってしまう。やっぱり安い物はどんどん壊れた方がいいのかなあ・・なんだか話が矛盾している。
私のような普通のおっさんでもつくづくとこんなことを思う世の中になってしまったのですね。

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最先端

 

 

 

 

 

 

今、社会はどんどんとデジタル化が進み

私の仕事、カメラもほぼ100%デジタルになっています。

デジタル化に遅れまいと、随分初期の段階からデジタルカメラとパソコンを採用して来たのですが

最近のカメラは益々複雑化してゆき、今まで経験して来た

自分の感覚や感性だけでは思いどおりの写真がとっさに撮れなくなって来たのは事実です。

いろいろな機能を備えたカメラは数字や記号ばかりです。

脳からの指令で指先をすばやく動かしカメラを操るようなことが必要になってしまいました。

このダイアルを右に回せばよいのか左がよいのか、こういう場合どのボタンを何回押せばよいのか。

人は一年一年歳をかさねて老化が進み動作が鈍くなってゆきます。

そして年々機械は進化をしてますますスピードが早くなってゆきます。

これから私はどのようにデジタルと向き合って行ったらよいのでしょう・・・。

 

最近、私のかかりつけ医から一通の手紙が届きました。

一年先に医院を廃業するとの知らせでありました。

私は早速、診察を受けに医院を訪れました。

先生は患者との会話をもとに、ゆっくりと診て適切な診断をされる、評判のよい方です。

話をさせていただくと、手紙の文面にも書いてあったように

先生も歳とともに、じゅうぶんに患者を診ることが出来なくなるかもしれない。

その時が来てからでは遅すぎるので今からその人その人に合った医院に紹介状を出されることとなったのです。

私は、先生のようにゆっくりと話を聞いてもらってから診てもらえるような医院を希望しました。

すぐに機械に頼られるのは困るのですと言いました。

先生はじっくりと考えられて

でもね、現代のことだからどこも機械に頼るでしょうね。

私のとこは古いタイプの医院ですからとおっしゃいました。

 

先生の言葉と時代のこの早すぎる流れの中でどことなく寂しさを感じてしまった最近の出来事でした。

亀村俊二

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テレビ生活



 

 

 

 

 

 

 

このたび我が家からテレビがなくなりました。アナログから地デジに切り替わることをきっかけにテレビというものを我が家から無くしてしまえと考えたからです。だからといって今までテレビに頼っていなかったかというと決してそうではありません。どちらかというと、テレビはよくつけていました。朝はNHKの連続ドラマから始まって、昼は食事の時についスイッチを入れてしまいます。夜は寝るまでずっとテレビがついている状態でありました。私は寝付きは良いのですが、すぐに目を覚ましてしまいます。夜中に不安になってまた2時頃から朝方まで小さなテレビをつけっぱなしでうとうととしてしまう、そんな悪循環が続いていました。我が家からテレビが無くなったのはこれが初めてではありません。子供達が小さな頃、ファミコンの取り合いなど家庭内が異常なことに気付き家からテレビというものを無くしてしまったことがありました。数年経って、おばあちゃんが昼に一人でいるのが寂しそうだからと言う理由で十数インチの小さなものをひとつ置いたことで、またもとに戻ってしまいました。それがこのたび地デジの切り替えにより、テレビの画面が砂嵐とともに無くなってしまったのです。妻がドラマやサスペンスが見られなくなったので寂しいと言っていました。私も夜中、どうなるのかと大変不安でした。ところがテレビが無くなって一ヶ月ほど経ちますがそんなに変化がありません。むしろ、時間を有効に使い、また違ったスタイルの生活が始まったようです。
数年後、我が家にまたテレビが存在しているかどうかどうか・・・?

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ああ・・・



 

 

 

 

 

 

 

私の写真スタジオでは、長年ドイツの有名な陶磁器をカタログ用に撮影する仕事をしてきました。コーヒーやティーカップ、花瓶や置物の人形と美しい模様が施された立派な品物を預かりそれを厳重に梱包された箱から取り出し撮影してまた元の箱に仕舞うという繰り返しの仕事です。この仕事が始まった20年前は輸入元の会社から撮影の立ち会いに来られて手慣れた人が箱からの出し入れをしてくれていたのですがいつの間にかすべてを任されて撮影を引き受けるようになっていました。あるとき複雑な形で細かな花びらがたくさん施された人形の撮影をしました。無事に撮り終えて箱に静かに入れたとき底の方でピンと何かのはじける音がしました。取り出してよく見てみるとほんの小さな5mmほどのかけらが落ちていました。20年間やってきて初めてのことです。すぐに担当者に連絡すると、修理も出来るからそのままにしておいたらと言ってもらったのですが僕の気持ちとして黙っている訳にはいきません。数日後、会社に事情を説明して謝って来ました。弁償するか何らかの連絡があるだろうと思っていたのですが会社からはいつものように、いや、いっそうどんどんと新しい撮影が舞い込んで忙しい日々が続きました。
ある日、会社から電話がありました。それは今までの撮影代金は払えないとのこと。それ以来20年間続いた撮影の仕事はお互いの信頼とともにぴたりと無くなってしまいました。
あのときの小さなキズを隠しておけばこんなことにならなかったのか・・ごまかしておけばよかったのか、正直に言った方がよかったのかああ、どのようにして生きて行ったらよいのかと思い悩まされる出来ごとでした。

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海外旅行



 

 

 

 

 

 

私はカメラマンという仕事柄よく海外旅行に行きます。いつも貧乏旅行なので旅行社も一番安いところを選び当然、飛行機もエコノミークラスです。ところが、いつも運良く搭乗寸前に名前を呼ばれて「ビジネスクラスに変わっていただきます。」ということが多々ありました。往復ともビジネスになったこともありました。また両親と子供たちをつれての家族旅行では格安旅行なのにジャンボジェットのアッパーデッキでゆっくりとさせてもらったこともあるのです。
私たちの新婚旅行の古い話になるのですが、手作りで開いた披露宴が遅れに遅れて飛行機の時間に間に合うかどうか、はらはらしました。飛行機を待たせてしまって、ようやく乗せてもらったのがなんと運良くファーストクラスにあたっていたのです。シートも豪華な機内食のサービスもすべて最高でした。
運のいいことばかりを書きましたが、そううまい話は続きません。
その旅行中に大事な財布を盗まれてしまったのです。ましてその日はお土産を買おうと、多い目のお金を入れておりました。ホテルの金庫にパスポートとお金を預けたのを思い出し、金庫を開けてもらうことにしました。しかし金庫の鍵は盗まれた財布の中。開けるには鍵穴を壊してもらうしかありません。お金を払えば、鍵穴を壊してくれるのです。払えるお金は金庫の中。なんとか無理を言って、金庫を開けてもらい出て来たお金で支払いを済ませ、一件落着。おかげでレストランでの食事も我慢して、ハンバーガーばかりかじっての新婚旅行となりました。
世の中、そううまく行くことばかりではありません。何事も、ほどほどがよいですね。
この3月、日航ジャンボ機・ボーイング747が41年の歴史を終え、経営再建のためすべて退役。ニュースを知って、心に残る飛行の思い出を記しました。

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造り酒屋の女将


昔、妻と富山県の山間のある町を旅したことがあります。 町の中央にはきれいな川が流れその古い町並みは小京都のようでした。
私たちは町のようすを写真に撮って歩きまわりました。
表通りからはずれて裏通りに迷い込み、うろうろしていると 古く傾いた造り酒屋を見つけました。
地酒でもあればと、引きつけられるように入っていきました。 外は明るい日差しだったこともあり、吹き抜けの玄関は目が慣れるまでにいっそう暗く感じました。
少したつと傷んだ土壁の前に酒瓶の並んでいるのがぼんやりと浮かび上がって来ました。どれにしようかと迷っていると、店の奥から透き通るような肌をした美人が 出て来て親切に応対をしてくれました。 
そのうちの一本を土産として買って店を出たのですが
私も妻も今遭った美しくあか抜けたあの女性がこのような山奥の造り酒屋になぜ嫁いで来たのかと思いめぐらせました。 なぜか、もの悲しい小説の主人公にでもめぐり遭ったような気にさせられたものでした。
あれから30年、造り酒屋の白い肌をもった女性は今もあの山間で幸せに暮らしているのか・・と ふとしたことから思い出し、また気になり始めたのです。 
そしてもう一度あの町へ行くことにしました。
幾度か道を間違えたものの意外と早くあの造り酒屋に辿り着くことができました。 古びた木造の店は以前とほとんど変わりなくそこに建っていました。
不安な気持ちで中に入ると崩れかけた土壁の前に置かれたしょうぎの上に瓶が数本並んでいてほの暗い奥の間に女性が座っていました。
私たちが入って来たのに気づくと土間に降りて来て、もの静かに応対してくれました。 
確かに30年前のあの女性でありました。
女性がどのような暮らしをしてきたのか、当然、私達には解りません。 歳の頃なら七十過ぎ、歳月を重ねて来られたその美しさは今も変わりませんでした。
以前、買った酒と同じものを一本買って店を出ました。 
外は明るい日差しでいっぱいでありました。

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文具店のお爺さん


近所の商店街に古い文具店があります。
歳の頃なら80過ぎの方がいつも店番をされています。
棚からはみ出た商品は今にも落ちて来そうに山積みになり
足元にはチラシが散乱していて足の踏み場もありません。
それでも近所に住む人には大変人気があるのです。
お爺さんはどんなものを頼まれてもその無造作に積まれた大量の文具の中から
買いたいものを必ず出して来てくれるのです。
あの店に行けば何でも揃っていると評判の店となっています。
ところが数年前からお爺さんは腰をくの字に曲げて
左右の棚に寄りかかりながら店に出てこられるようになりました。
それでも山のように積まれた商品の中から時間はかかりますが
ほしい品を探し出してくれるのです。
お客さんのなかには許されるのなら、お店の掃除をさせてほしいといっている主婦の方もおられます。
先日、妻が半紙を買いに行くと「それは棚の上の引き出しにしまってあるのやけど・・・」といいながら
曲がった手足を伸ばし取ろうとされています。
「見ていられなくて、私が踏み台に乗っておじいさんの言われるところを開けたらちゃんと出てきたわ!」と言っていました。
また私がボールペンを買いに行った時には、曲がった腰をさらに折り曲げて床に散らばったチラシを
拾おうとされるのです。
言われるままに試し書きをして数本のボールペンを買って帰りました。
心温まる昔懐かしいこんな店
お爺さんにもなんとか健康で少しでも長く続けていってほしいと願うものです。

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遠い記憶


小学生の頃、友人のM君の家に遊びに行った時のことです。
M君の家は僕が住む所から北の方角で京都の北山が迫る麓にありました。
そこには川が流れていて砂防ダムがありました。
普段は水も少なく小川のようですが台風や大雨の時には反乱するような砂防ダムでした。
M君の家はその砂防ダムにせき止められた砂地の上に点在した粗末な建物の一つでした。
広い砂地には所々にすすきが茂り中央には幅2メートルほどの小川がさらさらと流れています。
その日は太陽が照りつけ砂地は真っ白に乾ききっていました。
小川に渡された丸太を渡ると古板でつくられた小さな小屋がありました。
M君が開けてくれた戸の中へ入ると
そこは思っていたよりも明るくてはっきりと中の様子がわかりました。
壁板の隙間から差し込む光が片隅に置かれた水瓶を茶色く光からせていました。
たっぷりと水が溜められて側にはひしゃくが添えられていました。
「この水、飲むんか?」とM君に言ったかもしれない。
そこで私の記憶は途切れています。
それから後、放課後の砂場で相撲を取っていた時のことです。
原因が解らないままM君とつかみ合いの喧嘩になりました。
仰向けにころんだ僕の上に馬乗りになって来た彼は
顔を真っ赤にして僕を睨みつけたのです。
ここでまた記憶は途切れています。
そしてある日の夜中、僕の家から北の方角で火事がありました。
それは大文字山をも暗闇に浮かび上がらせるほどの大火となりました。
夜空を焦がす大きな炎をじっとこの目に焼き付けていた
あの出来ごとをぼやりと憶えております。
亀村俊二

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