カテゴリー別アーカイブ: photo essay

遠い記憶・映像

昭和30年前後のことです。

その頃のぼくには忘れられない出来事があります。兄に手をひかれて兄の友達のうちに遊びに行った時のことです。

兄は友達の家の玄関まで来ると、突然「おまえ、ここから帰れ」と言ってぼくを閉め出して、その家の中に入って行きました。

ぼくは一人で帰ることになってしまったのですが、果たして何処をどのように歩いたのか、ぼくの家から反対の方向に歩いてしまっていました。夕暮れになって、泣きながら歩いていたのでしょう。そこで見知らぬ農家のおばあさんに声をかけてもらいました。

泣いているぼくに「どこから来たんや」「家はどこや」
ぼくは「わら天神」「大亀さんのうちのまえ」とおばあさんに云いました。

覚えたばかりのぼくの家の住所も正確に言ったようにもおもいます。ぼくの家の側に「わら天神」があり、おもしろいことに「亀村」の家の向いが大工の「大亀さん」の家なのです。ぼくはおばあさんに連れられて夕闇迫る道を家まで送ってもらいました。玄関の戸を開けると、オレンジ色に燃えるおくどさんの火に照らされて、母がお釜のご飯を炊いていました。

兄に「ここから帰れ」と言われ、兄の閉める戸が目の前で今にも閉まろうとする映像、「大工の大亀さんのうちのまえ」とぼくが泣き泣き云っている様子。「おばあさん」に連れられて歩いた道、そして「母の顔を照らしているオレンジ色の炎」が遠い記憶として残っています。

あの「おばあさんの顔」は、長い間心の中で憶えていたのですが・・・。

亀村俊二

カテゴリー: photo essay | 遠い記憶・映像 はコメントを受け付けていません

心にのこる言葉



昨年の1月に京都で個展を開いた時のことです。私が教える京都精華大学の写真の授業と個展の会期が重なったので、会場で作品を前にして講習することになりました。

14、5人の学生が円座になって茶菓子をつまみながらの授業は、雰囲気も変わり楽しんでいる様子がこちらにもはっきりと伝わってきました。

ところが何時も私の側に座る中国人留学生のT君は今日も授業態度が良く、熱心に質問も繰り返してくるのですが、テーブルに出した茶菓子には全く手を付けません。

遠い国からやってきた若い学生の身、お腹も空くだろうと、何度も彼に奨めてはみたのですが、ついに最後まで彼は菓子を食べようとはしませんでした。

授業終了後、身体の調子でも悪いのかそれとも他に何か理由があるのか、気になって彼に聞いてみました。何度も聞く私にT君は申し訳なさそうに言いました。

「先生から頂くのは智恵だけです」。国ではそう教えられました…と。

亀村俊二

カテゴリー: photo essay | 心にのこる言葉 はコメントを受け付けていません

秋田県 大館市



京都から寝台特急・日本海に乗って大館に行きました。

列車は午後9時前に京都駅を出発して北陸本線を北に向います。

京都で買った駅弁も食べ終えコトコトと車両の揺れを楽しんでいるうちにいつの間にかぐっすりと眠ってしまったようです。

目覚めると山形からそこは秋田の県境あたりの川に沿って列車は走っていました。

川面には霧が立ち込め暁に浮かび上がった東北の銀世界はえも言われぬ美しさ…

1時間余りで駅に降り立った私をいちばんに迎えてくれたのは市の中心を流れる長木川に渡来する白鳥やカモたちの群れでした。

亀村俊二

カテゴリー: photo essay | 秋田県 大館市 はコメントを受け付けていません

兵庫県・城崎 円山川にかかる虹



兵庫県城崎にある日扇寺という小さな山寺の御会式に参詣させていただきました。

日扇寺の住職松本現喬師は私の大学の先輩でもあり、いつも信心の大切さを教わっており私のよき指導者でもあります。

表紙の写真原稿の締めきりも明日に迫り、
<今日はどうしても撮って帰るぞ>と心に誓って出て参りました。

午前中はよいお天気に恵まれ、参詣を終え円山川沿いを撮影し始めたのですが、空がにわかに曇りだし横殴りの雨にカメラもぐっしょりと濡れ、いやな予感の天気予報があたり山陰地方は強い雨風…

諦めきれずに円山川を城崎に向かって車を走らせていると運転席の妻が「ほら、虹…」といって車を路肩に止めました。

私はあわててカメラを持ち出し虹が消えてしまわないことを願いながら夢中でシャッターを押し続けました。

山陰の鉛色の空にほんの少し覗いた青空を七色に染めた虹に感謝ー。

亀村俊二

カテゴリー: photo essay | 兵庫県・城崎 円山川にかかる虹 はコメントを受け付けていません

古書店の写真集



先日こんなことがありました

ある造形作家の方より、知人を介して私に彼の作品集をつくるため是非、撮影してほしいという話がありました。

その造形作家がなぜ僕を指名されたのか聞いてみると、私が6年前に作った「日本のこころ<時空>」という古書店の片隅に置かれていた写真集を見つけ買って帰られたそうです。私はその話を聞いて嬉しく思いました。

ところで、この本は自費出版でどこの本屋にも販売しておらず、ただ知人達に献本した 数十冊のうちの1冊だったのです。不要になって古本屋に回されてしまったのでしょうかーーーー。

自分が造った本にこんな形で再会できるとは、心境複雑です・・・。

しかも新たな「仕事」とともに。まさに「人間万事塞翁が馬」。

亀村俊二

カテゴリー: photo essay | 古書店の写真集 はコメントを受け付けていません

土門拳記念館にて



先日、山形県酒田市にある土門拳記念館に行きました。

土門拳は私達写真家の大先輩であり、リアリズム写真に徹した写真界の巨匠であります。

私は土門拳先生の写真に憧れて写真家を志したのですが、一度も記念館を訪れたことがありませんでした。

そんな思いを胸になんとか連休を利用して行くことができました。

寝台特急で早朝坂田に着き心静かに写真と対峙したいと思って記念館の開くのを待って入館、ところが作品を観賞し始めると、側の三人づれの来館者が作品の前で「この写真は・・・ここが・・・どうだ」などと写真談義をしながら観始めたのです。

私はこれはかなわんと思い美術館のいちばん奥に展示されている「古寺巡礼」から逆に回ることにしました。なんとか静かに観終わり、残りを入り口付近の大勢の客に混じり、またざわざわした環境で観ることになったのです。そこでは、「あれぇー・・わあー・・」いろんな声が聞こえてきます。
最後を観終わったところでやっと私は気付いたのです。

「そこにある写真が観る人に声を出させているのだ」・・・と。

亀村俊二

カテゴリー: photo essay | 土門拳記念館にて はコメントを受け付けていません

与那国馬の親子(沖縄県 与那国島)



沖縄本島から小型のプロペラ機に揺られて2時間のフライト日本最南西端の地、与那国島へ行きました。

車でゆっくり島を1周しても30分とかからない小さな島で南端の岸壁に立つと天気の良い日には遠く水平線の彼方に台湾を望むことができます。

与那国馬は 小柄で 性格もおとなしく昔から長い間農耕馬として人間のために働いてきましたが時代も変わり今は日がな一日、牧草地で草を食んで暮らしています。

それを眺めているこちらものんびりといきたいところですが、まだまだ子のため家族のため、馬車馬のように働かされる毎日が続いています・・・・

亀村俊二

カテゴリー: photo essay | 与那国馬の親子(沖縄県 与那国島) はコメントを受け付けていません

丹波・篠山にて



兵庫県篠山市へ撮影の仕事に出かけました。

篠山市は昔ながらの町並みが美しく自然環境に恵まれ、丹波黒大豆、丹波松茸、丹波焼などでも有名な地です。

私たち(私とライターとアシスタント)は目的の撮影も終え、国道沿いの 秋の気配を楽しみながら 車を走らせました見渡す限りのその中、草むらのコスモス・アワダチソウ・ススキたちの共演に感動・・・。

路傍に散らばる無数の宝石を感じました。

亀村俊二

カテゴリー: photo essay | 丹波・篠山にて はコメントを受け付けていません