私は子供の頃から球技が苦手で、いつも近所の子供たちから相手にされない子供でした。
小学校低学年のころ近所の草むらで三角ベースが始まりました。 身体も弱く、人いちばい野球もへたなのですが 、その日にかぎって人数合わせで誘ってもらいました。
私は野球に加えてもらわなくてもよかったのですが、何度も誘われるのでしかたなく仲に入りました。三角ベースは少人数でする野球なのですぐにバッターの順番が回って来ます。 ほどなく私の番がきました。
ピッチャーの投げたボールは私の予想どおり弱々しく振ったバットからは ほど遠いところを通過していきました。あとの2球もそのまま私の前を通り抜け、あえなく三振となってしまいました。
「ああやっぱり三振か」皆のニヤッと笑う顔が私の目に飛び込んで来ました。
次の番もその次も三振は止まりません。 周りの者たちが、私のいくじのなさにしびれを切らして
「バットを短くもって」「もっとボールをよく見て」「脇をしめて」「あごを引いて」 あきれたように特訓をしてくれるのですが私の空振りは焦れば焦るほど止まりません。
私は顔から火の出るほど恥ずかしい思いをしながらバットを振り続けました。
結局、夕方まで振り続けたバットには一度もボールはあたらなかったのです。
複雑なこころで家路についた想いは今も忘れません。 以来、こういった私の弱々しい面はふだんの生活や仕事にも時として現われます。 そして、そのような時、いつもあのどうにもならない空振りのくりかえしの場面が想い出されて来るのです。
亀村 俊二
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