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作成者別アーカイブ: shunji
遠い記憶
小学生の頃、友人のM君の家に遊びに行った時のことです。
M君の家は僕が住む所から北の方角で京都の北山が迫る麓にありました。
そこには川が流れていて砂防ダムがありました。
普段は水も少なく小川のようですが台風や大雨の時には反乱するような砂防ダムでした。
M君の家はその砂防ダムにせき止められた砂地の上に点在した粗末な建物の一つでした。
広い砂地には所々にすすきが茂り中央には幅2メートルほどの小川がさらさらと流れています。
その日は太陽が照りつけ砂地は真っ白に乾ききっていました。
小川に渡された丸太を渡ると古板でつくられた小さな小屋がありました。
M君が開けてくれた戸の中へ入ると
そこは思っていたよりも明るくてはっきりと中の様子がわかりました。
壁板の隙間から差し込む光が片隅に置かれた水瓶を茶色く光からせていました。
たっぷりと水が溜められて側にはひしゃくが添えられていました。
「この水、飲むんか?」とM君に言ったかもしれない。
そこで私の記憶は途切れています。
それから後、放課後の砂場で相撲を取っていた時のことです。
原因が解らないままM君とつかみ合いの喧嘩になりました。
仰向けにころんだ僕の上に馬乗りになって来た彼は
顔を真っ赤にして僕を睨みつけたのです。
ここでまた記憶は途切れています。
そしてある日の夜中、僕の家から北の方角で火事がありました。
それは大文字山をも暗闇に浮かび上がらせるほどの大火となりました。
夜空を焦がす大きな炎をじっとこの目に焼き付けていた
あの出来ごとをぼやりと憶えております。
亀村俊二
カテゴリー: photo essay
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子供が歩き出す日
息子夫婦と孫と一緒に暮らし始めて8ヶ月になります。息子も
私も自由業、家で仕事をしているので夕食というと円いテーブルを
囲んで孫と顔を会わせながらわいわいとにぎやかなものです。
子供が風呂からあがるときなどは家中が一時大騒ぎになる始末。
最近世の中では夫もすすんで子育てに参加という風潮なのですが
我が家ではそこに爺さん婆さんが参加するのですから少し過保護すぎのようです。
孫の雪路もこの12月で1歳になりました。
実は私たち夫婦の始めての子供が1歳になるとき
私は一人で気ままにヨーロッパ一周の撮影旅行にでかけていました。
そして2ヶ月の長い旅が終わって帰国の日
妻と1歳2ヶ月になる息子が大阪空港の到着ゲートに迎えに来ていたのですが
出発するときはハイハイもままならなかった息子が
母親に見守られながらよちよちとこちらに歩いて来たのです。
今思えば妻と小さな子供を残して一人長旅に出るとはずいぶんと無茶なことをしたものです。
旅行に出ることを許してくれた妻と同居の両親にあらためて感謝の思がわいてきます。
いま、孫の雪路は東京へ里帰り中なのですが
帰ってくる年末にはもしかして
よちよち歩きが始まっているかもしれないと・・・
ひとり、心のうちで期待しているのであります。
亀村俊二
カテゴリー: photo essay
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皆既日食
この8月、ウイグル自治区ウルムチであった皆既日食の観測に長男が参加しました。 中国情勢が悪い中、心配していたのですが 好天にも恵まれ皆既日食の映像も良く撮れてなにごともなく帰って来られたこと 一先ず安心いたしました。
思えば私も1983年、インドネシアのジョグジャカルタの奥地で見られる 皆既日食の観測隊に加わったことがあります。 現地では私達が訪れる以前から雨が降り続き地面はぬかるみ状態となり ジャングルを切り開いた観測地は高温と多湿で劣悪な環境でありました。 京都で生活している私には耐えることができないほど厳しい熱帯の気候でした。
日本からの同行者の中には食中毒被害にあったり、 またマラリア蚊の恐怖にさらされるなど重い空気が流れておりました。 しかし、私達の観測地は運良くその日の朝から晴天で 正午近く、太陽は欠け始め日食はさえぎる雲もなく順調に始まりました。
原住民たちは「月が太陽を食う」と恐れてジャングルの奥に消えてゆき 山の稜線と接する空だけがかすかに青く 天空は黒い太陽を中心に大きな雨傘をかぶせたような墨色となり、 そして、黒い太陽の一部がピカッと輝きダイヤモンドリングとなるや 輪郭に青い炎が現われ始めました。
待ちに待った「コロナ」です。私は夢中でシャッターを押し続けました。 マラリア蚊や食中毒などの 重い空気はいつの間にか何処かへ消えさっておりました。
来年7月22日には奄美・トカラ列島などで皆既日食を見ることが出来るようです。
今度は長男の参加する観測隊に同行したいとひそかに狙っている私なのです。
亀村 俊二
カテゴリー: photo essay
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ライフワーク
私が深泥池の撮影に取り組み始めたのは30年以上前のことです。池には中央に浮島があり、そこは立入り禁止となっています。
そこで京都市の特別許可を得ることができたので、ボートを浮かべて浮島を撮影することにしました。
夜の水鳥たちの様子をカメラに捉えようと初めて池にボートを出した時のことでした。池のまん中まで漕ぎ出した時、気がつけば岸のほうにパトカーが止まっています。何かあったのかなと思いつつも夢中で撮影を続けていたのですが、どうやら警官は私を呼んでいるようです。
戻ってみると、ことは大さわぎになっていました。
なんと、私はこの池に飛来するカモの密猟者になっていたのです。
そんな体験から始まった深泥池は今では私のライフワークとなってしまいました。
亀村俊二
カテゴリー: photo essay
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ヒッチハイク
私がまだ26歳のころ先輩のカメラマンと二人で真冬の能登半島へ撮影旅行にでかけました。
鉛色の雲がたれ込める厳寒の能登の風景を求めて、私たちは波打ち際や岬を歩き回り写真を撮りました。
次の目的地までの移動は、海岸線を走るバスなのですが寒風が吹き抜け真っ白に凍ったバス停で長時間待つことが辛くなって来て、時折通りかかる乗用車に合図して乗せてもらうことにしました。
私たちは遠くの方から雪を蹴って走って来る1台の車を見つけ、大きく手を振りました。 二人とも髭づらで決して美しい身なりではなかったのですが、その車はすぐに止まり 凍てつく窓を開けた運転手は「どこまでいくの?」と警戒する様子もなく私たちに声をかけてきてくれました。
その出来ごとに気を良くした私たちは、能登半島一周の旅をこの経済的で便利なヒッチハイクという交通手段で、すべて終えた次第でした。
時は移り数年前、私はワンボックスカーに撮影機材をいっぱい積み込み横浜へ撮影に出かけました。 京都南インターチェンジの料金所の少し手前で三人の若者が「東京方面・乗せてください」とおおきな文字を段ボールの切れ端に書いて振っているではありませんか。
私はすぐに車を止め「荷物がいっぱいやけど乗っていく?」と声をかけました。
決して美しいとは言えない身なりの三人は荷物の隙間をぬって乗り込んできました。
私たちは横浜駅まで、彼らは東京ですから、「後は電車で帰ります」とおおよろこびでした。 よく見ると、一人は20代半ばの女の子であとの二人は同世代の男性で、どうやら彼らは一人旅らしく京都で出会って意気投合したらしいのです。
狭い車中ではそれぞれ自分のことを話したり 女の子からは少し身の上話も聞いたりして和気あいあいと6時間余を共にしました。
そして横浜駅で降りる三人から丁寧なお礼の言葉をもらった時 、30年ほど前、能登半島で受けた感謝の想いを今なんとなく返せたような、清々しい気がしたのでした。
亀村 俊二
カテゴリー: photo essay
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それぞれの人生
先日、小学校のクラス会と中学校のクラス会が同じ日にありました。始まる時間がちがっていたので両方の会に出席することが出来たのです。
ちょうど還暦の年に当たるとあって懐かしい顔が多く集まりました。一人一人が近況を話し始めました。
六十の誕生日で定年を迎え引き続き元の会社で再雇用される者
中卒で就職、45年間勤め上げて今は無事に引退、趣味に生きている者
この不況下で「仕事、さっぱりあきません」と口ごもる自営業者
次々と会社を変わっている者
両親の介護に生きる者
孫の守に生きる者
まだまだ我が子が3歳という者
アルバイトで家計を助ける主婦たち
会社社長も一級建築士も大学教授もそれぞれにこれまでの人生を語りました。
日本の平均寿命からすると男があと19年、女が25年それぞれの人生
さてこれから何ができることやら・・
私はというと「写真とお寺参り」に生きようと心新たに引き締まる思いの還暦であります。
亀村 俊二
カテゴリー: photo essay
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六十の手習い
先日から私スクーターの免許を取りにいっています。同居の次男が東京から持ち帰ったスクーターが乗ることもなく置いてあるのでちょっとそれを乗ってみようかと思ったのです。
最近は電動自転車によく乗っているのですが夏の暑さや坂道に参ってしまって息子のスクーターを借りて京都市内の写真を撮りに廻ることにしたのです。
200ccのスクーターは二輪の中型免許が必要なこともあり自動車の免許しか持っていない私はこの際おもいきって二輪免許を取得のため、近くの教習所に通うことにしました。
ところが、スクーターの教習が始まろうとする前日重い荷物を持ち上げた瞬間、ギックリ腰になってしまいました。一週間の治療を終えてなんとか教習所に通い始めたのですが始めの教習はなんと転倒したスクーターを起こすことからだったのです。
200kg以上もあるスクーターは腰痛持ちの身にはつらいものがありました。
先生の上手な指導もあって重くて大きなスクーターはなんとか起こすことが出来るようになったのですが、こんどはコースを走って狭い曲がり角にさしかかると どうしてもバランスを崩して転倒してしまうのです。
そのたびに大きな重いスクーターを起こしては乗りまたまた転倒してしまうということが続いています。こうして今年還暦を迎える私は十代の若い生徒たちにまじって教習所で孤軍奮闘しております。
「六十の手習い」という言葉がありますが、無事免許取得の暁にはさて、次は何に挑戦してやろうかとふつふつと静かに思いは馳せて来るのでありました。
亀村 俊二
カテゴリー: photo essay
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借りたカメラで
今年の始めの頃、知人のTさんと最新のデジタルカメラについての話題で盛り上がっていました。
彼は最近、ニコンD3xという高級カメラを買ったばかりなのですが他にもカメラを持っているので新しいそれはあまり使っていない様子でした。
それをぼくに使ってほしいと言って彼は帰っていきました。 数日後、私の留守中に彼のカメラバッグが本当に届いてしまったのです。
バッグを開けるとあの最上位機種のニコンのデジタルカメラと交換レンズが黒い光沢を放って きっちりと詰められていました。こんな高価なカメラを預かってしまって・・彼の好意は嬉しいのですが気がしんどくなりそうな複雑な思いでありました。
暫くの間そのカメラバッグを棚の上に置いて使うことをためらっていたのですが実のところ日々、気になってしかたありません。ある日、折角の彼の好意になんとか応えなくてはと気を取り直しそれからは毎日のように借りたカメラを持ち歩きました。
さすがに使えば使う程、彼のそのカメラは私の手に馴染んで来るのです。
一時は、Tさんからの突然の申し出には戸惑いましたが結局、6月に開いた私の個展は全てTさんから借りたカメラで撮ったものとなったのです。
カメラも変われば、気分も変わる。これまで以上に満足な出来と成りました。すべて結果良し!
Tさん、改めましてありがとうございました。
亀村 俊二
カテゴリー: photo essay
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ユーカリの木
昨年の春に買ってきた鉢植えの「ユーカリの木」、始め50cm位のものがグングンと成長して背丈ほどになりました。
朝夕に忘れることなく水やりをしていたのですがこの異常な夏の暑さのためか突然に枯れてしまって残念で仕方ありません。
家庭園芸にそれほど熱心というわけではないのですがスタジオの玄関には他にもいくつかの鉢植えを育てています。その鉢植えの中でひとつだけ私にとって誇れるものがあります。
直径1mほどに大きく成長した「アジアンタム」という名の観葉植物です。
(アジアンタム・やわらかい葉がふさふさと緑が美しい、涼しげでとても魅力的でデリケートな観葉植物)このアジアンタムと私はほぼ20年来の長い付き合いになるのです。
当時、私は写真のモチーフとして買ってきた小さな鉢植えのアジアンタムを繰り返し撮影していました。このアジアンタムが写真の片隅に登場すると不思議なほどにその写真が売れるのです。
そのことに気を良くして何度も何度も写真に撮りました。 ところが、出張から帰ってくるたびにこのアジアンタムの葉はちぢれたように枯れてしまっているのです。あわてて水をたっぷりとやるのですが一度ちぢれた葉はもう元には戻りません。
完全に枯らしてしまって葉がほとんど無くなってしまったこともありました。
その度にあらゆる世話をして新しい芽が出てくるのを待つのです。写真に撮っては枯らしてしまい、またやわらかい葉が出てくると写真を撮らせてもらう このアジアンタムとはそんな付き合いの20年なのです。
デザイナーの友人がスタジオに訪ねて来ました。
あれこれと話がはずむうちに、私は大きく育ったユーカリを枯らしてしまったことを話しました。友人は枯れた葉のユーカリをじっくりと見つめて、私に言いました。
「新しい芽が出てますよ。根元から。」
私は眼鏡をかけて彼の指差すところをよく観察しました。確かに若草色の新芽があちこちに見えています。ずっとそれを雑草と思い込んでいた私は、ことのほか感動させられました。そして枯れてしまった幹を根元から数センチのところでばっさりと伐ったのです。
残ったのは3cmほどの小さな新芽の数本です。
「さあ、大きく育ってくれよ・・・」
幾度の困難に打ち勝ってきた先輩アジアンタムの側で このユーカリの小さな新芽が無事に育ってくれることを望むものです。
亀村 俊二
カテゴリー: photo essay
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F君のお嫁さん
近くに住むF君夫妻に山菜摘みに連れて行ってもらいました。 私達は身体ひとつでF君の車に乗せてもらいました。 京都市内から北に向かって車を走らせ一時間、滋賀県の朽木の山奥へ入りました。
山菜は、わらび、たらの芽、こごみ、こしあぶら・・・等々 「こごみ」は河原から萌えるような新芽を覗かせています。 始めての私たちも楽々と摘むことが出来ました。 「こしあぶら」という植物も始めて出会った山菜です。 その細長い幹を少しずつ曲げて、枝先の新芽をいただくのです。
教わりながらの山菜摘みも楽しく終えることができました。 そして帰り道、琵琶湖で小鮎を釣ることになりました。 車には竿やエサまで準備してあったのです。
夕暮れの琵琶湖に寒い風が吹き出し、湖というのに時折大きな波が押し寄せています。 私は足下を濡らしながらも夢中で小鮎釣りを楽しんでいましたが、帰る時間になって ふっと気付くと長靴の中はくるぶしのところまで水が溜まっているではありませんか。
替えの履物も無く、しかたなく裸足でいる私の側にF君の嫁さんが来て登山靴を脱ぎ始めました。 「これ、履いて下さい。」 と履いていた暖かそうな毛糸の靴下を差し出されたのです。
女性用ということで遠慮したのですが、なんどもかけられるあたたかな彼女の言葉に 私も思い切って履かせてもらうことにしました。 女物の靴下は少し窮屈でしたが、やがて冷えきった身体は足下からほかほかと暖まり始め おかげさまで、今日一日のしあわせを深く感じながらの岐路となりました。
今日もお二人の心配りには教わることが多々ありました。
F君夫妻にはいつもこうしてお世話になりっぱなしなのです。 こんなに奇特なご夫婦もおられるものです。私たちの周りには・・・。
亀村 俊二
カテゴリー: photo essay
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