私は幼い頃身体が弱く、母がわたしの健康を気遣ったのか、少し疲れた様子をみせるとけっして戸外で遊ぶことをゆるしませんでした。
家の裏庭は神社の森と接し、古びた塀で隔たっていました。波形のトタン塀はみどりのペンキで塗られ、褐色の錆びでおおわれていました。
森の向こうは町内のあそび場となり、そこで三角ベースや、ドッジボール、ビー玉、面子(めんこ)、肉弾や胴馬など、高学年のお兄さんから小さな子供たちまでが一緒になって毎日遊んでいました。
ボールの跳ねる音、森の奥深くまで転がった球を探し廻る聲、そんな楽しそうに騒ぐ友たちの様子がつたわってきます。
私といえばいつものように外出禁止、飼い犬のように裏庭をうろうろとする日が続いたある日、とうとう我慢出来ず子供の背丈では届きそうにもない高い塀の向こうをのぞくことにしたのです。
庭の隅に散乱している廃材を塀に添って積み上げ足場を作りました。
その不安定な足場の上に乗りトタン塀の上部に両手を掛け、グッと背伸びをしました。
すると、森の向こうの様子がほんの一瞬垣間見えたかに思えたその瞬間、掌に走ったにぶい痛みはいまも忘れません。
今、私の左の掌にある大きな波形の傷跡をみつめる時、おさな友達の顔やもっと自由に遊びたかった想いなどが走馬灯のように思いだされるのです。
亀村 俊二
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