沖縄日帰り撮影の旅



台風の合間をぬって沖縄へ撮影に出かけました。
私のスケジュールの都合で日帰りの旅、朝9:10に大阪伊丹空港を発ち16:35の那覇発の飛行機に乗る計画をたてました。

撮影地は宜野湾市の美術館と沖縄戦跡の平和記念公園(摩文仁)と距離にして60kmほどの移動になります。
レンタカーを運転して回る予定でしたが、慣れない土地での運転はたいへん、タクシーで移動することにしました。

無理な計画とは知りながら時間内で撮影を終えたいと願い、空港で観光タクシーとの料金や時間を交渉、無理をなんとか了解してもらい車は走り始めました。

運転手さんは話好きで親切で運転もうまく、時間は計画通りすすんでいます。
南国の照りつける日ざしの中、撮影を終えて車に戻ってきた私は運転手さんからよく冷えたお茶をいただき、これも写されてはどうですかとハイビスカスの花を差し出されたりして・・・感謝。

すべて順調、短い時間でしたが快適な沖縄の旅、おかげで予定どおり仕事も終える事ができ、空港に戻ってきました。運転手さんのお名前も教えてもらい、私も名刺を渡し、「ありがとうございました。また沖縄に来た時には助けて下さい」あわててタクシーから降りようとする私に、彼はこまった顔をして言いました。

「あのー・・・料金いただいてないんですが・・・」
「すみませーん 運転手さん これだけの親切を受けておきながら・・・」
彼に申し訳ない気持ちがいまだに私の心に残り、忘れられない旅になりました。

亀村俊二

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ギャラリーカフェをつくる話



私達には3人の息子がいます。
長男は東京で写真家を志し、次男も東京で映像の仕事に就いています。おまけに三男も同じマンションに転がり込み、この春学校を卒業して音楽の道に進もうとしています。

子育ても終わろうとする今、ふと自分達のことを振り返ってみると、私は商業写真の仕事に就いて30年、妻も長年勤めた職を辞し私の仕事のパートナーとして共に歩んできました。

おかげさまで仕事は途切れることもなくここまでこられたのですが、しかしこの頃、目や体力の衰えとともに世間でいう定年のようなものがフリーカメラマンの私にも近付きつつあると感じられるようになってきました。

クライアントの注文に応じる写真の撮影は体力と根気が勝負です。
このままがむしゃらに仕事を続けていくのか、新しいスタイルでいくのか、いろいろと考えた挙げ句・・・「ここらで人生 すこしかえようか・・・」

「老後はギャラリーと喫茶店でもして好きな写真を撮って暮らせたらなあ」と思ってはいたのですが、よく考えれば、老後、働けなくなってからでは遅すぎることに目覚め、おもいきって自宅のスタジオをギャラリーカフェに改造する工事を始めました。

秋には、私はギャラリーのオーナーと写真家として、妻はコーヒーたてて、「はじめの一歩」が始まります。
想えば、私の父も国家公務員を退き新しい職に就いたのが54歳、今の私の歳だったのです。

亀村俊二

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記念写真



先日スタジオ改装のため20年間たまり続けた写真の山を整理していた折、心に残る1枚の写真が出てきました。

1987年4月、はじめて私が新宿ニコンサロンで個展をした時のものです。父母と妻と3人の子供達が写っています。

ことに父母は私のはれの舞台がうれしかったのでしょう。満面の笑みを浮かべて記念写真におさまっています。
あれから18年ー。

この6月1日から1ヶ月間、東京・品川の再春館ギャラリーで今度は私の長男が初の個展を開くことになりました。私たち夫婦も息子の個展に行くことを楽しみにしています。 そして、またあの時の父母と同じ気持ちで、同じ笑顔で私たちも記念写真におさまることになるのでしょう。

亀村俊二

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「外国人?」



東京・上野の森を撮影取材に訪れた時のことです。

撮影は不忍池から上野公園と順調に終え、筆者のR子さんと上野の森を写真の被写体を探しながら歩いていました。前方から若いカップルが自分達ふたりの写真を撮ってほしいらしく、小さなデジタルカメラを笑顔で私に差し出してきました。

「プリーズ ・・+* テイク ア ピクチャー」
と日本人である僕にはひじょうに分かりやすい英語でお願いされたのですが、「はいチーズ」と言っていいのか戸惑いながらも若いふたりにシャッターを切ってあげました。

そのことが終って、歩き始めた僕にR子さんが言いました。
「何処の国のひとでしょうね?」
「僕もそう思いました、どう見ても日本人ですね」・・・・そこでふっと
「それでは外国人は僕の方?」

そういえば僕の今日のいでたちは、浅黒い顔にひげ面でオレンジ色の毛糸の帽子をかぶっていました。
帰りの新幹線には帽子はポケットにしまいこんで乗りました。

亀村俊二

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旅の穴



パリから鉄道に乗ってベルギー、イギリス、スペイン、そして南フランスを妻とふたりで旅したときのことです。

旅の始まりのベルギーはブリュ-ジュでのできごとでした。

駅に降り立って、まず、街の方向に歩きだしたのですが、駅前にレンタサイクルをみつけ、自転車を借りることにしました。

街へ行くには、左の道でも右の道でもよいのですが、私たちは右の道を選びました。

さあ、出発です。

ところが100mほど自転車を連ねて走ったところで妻の自転車が石畳のせまい道のまん中にあいた小さな穴にタイヤをとられ、ゴツンという音をとともにパンクしてしまいました。ため息まじりで駅に戻り、自転車を交換、新たな気持ちでこんどは左の道をすすむことにしました。

ブリュージュは中世の佇まいを残した街並と運河が見事に美しく大勢の観光客で賑わっていました。写真も充分に撮り、きょう一日を満足して過ごすことができ、私たちはロンドン行きの夜行フェリーに乗るためまた駅に戻ってきました。

ところが駅までもう少しというところでゴツン・・・こんどは私の自転車のタイヤがパンクしてしまいました。

そこには、私たちの出発の邪魔をした「あの穴」がポッカリと口をあけていたのです。

どうか「すばらしい旅になりますように」とお願いしての旅の始まりでした。

亀村俊二

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遠い記憶・映像

昭和30年前後のことです。

その頃のぼくには忘れられない出来事があります。兄に手をひかれて兄の友達のうちに遊びに行った時のことです。

兄は友達の家の玄関まで来ると、突然「おまえ、ここから帰れ」と言ってぼくを閉め出して、その家の中に入って行きました。

ぼくは一人で帰ることになってしまったのですが、果たして何処をどのように歩いたのか、ぼくの家から反対の方向に歩いてしまっていました。夕暮れになって、泣きながら歩いていたのでしょう。そこで見知らぬ農家のおばあさんに声をかけてもらいました。

泣いているぼくに「どこから来たんや」「家はどこや」
ぼくは「わら天神」「大亀さんのうちのまえ」とおばあさんに云いました。

覚えたばかりのぼくの家の住所も正確に言ったようにもおもいます。ぼくの家の側に「わら天神」があり、おもしろいことに「亀村」の家の向いが大工の「大亀さん」の家なのです。ぼくはおばあさんに連れられて夕闇迫る道を家まで送ってもらいました。玄関の戸を開けると、オレンジ色に燃えるおくどさんの火に照らされて、母がお釜のご飯を炊いていました。

兄に「ここから帰れ」と言われ、兄の閉める戸が目の前で今にも閉まろうとする映像、「大工の大亀さんのうちのまえ」とぼくが泣き泣き云っている様子。「おばあさん」に連れられて歩いた道、そして「母の顔を照らしているオレンジ色の炎」が遠い記憶として残っています。

あの「おばあさんの顔」は、長い間心の中で憶えていたのですが・・・。

亀村俊二

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束の間の芸術-パリ・ジョルジュサンクの壁

Tsuka no Ma no Geijutsu-The Art of Walls of the George V Station,Paris SHUNJI KAMEMURA A4判・44頁



束の間の芸術-パリ・ジョルジュサンクの壁
Tsuka no Ma no Geijutsu-The Art of Walls of the George V Station,Paris
SHUNJI KAMEMURA
●A4判・44頁
この写真に撮影されたパリ・ジョルジュサンク駅のポスターは1995年に駅の改装のために取り壊され、今は存在しない。なお、このシリーズの写真すべては1996年にパリ国立図書館の版画写真部門にコレクションされました。

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心にのこる言葉



昨年の1月に京都で個展を開いた時のことです。私が教える京都精華大学の写真の授業と個展の会期が重なったので、会場で作品を前にして講習することになりました。

14、5人の学生が円座になって茶菓子をつまみながらの授業は、雰囲気も変わり楽しんでいる様子がこちらにもはっきりと伝わってきました。

ところが何時も私の側に座る中国人留学生のT君は今日も授業態度が良く、熱心に質問も繰り返してくるのですが、テーブルに出した茶菓子には全く手を付けません。

遠い国からやってきた若い学生の身、お腹も空くだろうと、何度も彼に奨めてはみたのですが、ついに最後まで彼は菓子を食べようとはしませんでした。

授業終了後、身体の調子でも悪いのかそれとも他に何か理由があるのか、気になって彼に聞いてみました。何度も聞く私にT君は申し訳なさそうに言いました。

「先生から頂くのは智恵だけです」。国ではそう教えられました…と。

亀村俊二

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秋田県 大館市



京都から寝台特急・日本海に乗って大館に行きました。

列車は午後9時前に京都駅を出発して北陸本線を北に向います。

京都で買った駅弁も食べ終えコトコトと車両の揺れを楽しんでいるうちにいつの間にかぐっすりと眠ってしまったようです。

目覚めると山形からそこは秋田の県境あたりの川に沿って列車は走っていました。

川面には霧が立ち込め暁に浮かび上がった東北の銀世界はえも言われぬ美しさ…

1時間余りで駅に降り立った私をいちばんに迎えてくれたのは市の中心を流れる長木川に渡来する白鳥やカモたちの群れでした。

亀村俊二

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兵庫県・城崎 円山川にかかる虹



兵庫県城崎にある日扇寺という小さな山寺の御会式に参詣させていただきました。

日扇寺の住職松本現喬師は私の大学の先輩でもあり、いつも信心の大切さを教わっており私のよき指導者でもあります。

表紙の写真原稿の締めきりも明日に迫り、
<今日はどうしても撮って帰るぞ>と心に誓って出て参りました。

午前中はよいお天気に恵まれ、参詣を終え円山川沿いを撮影し始めたのですが、空がにわかに曇りだし横殴りの雨にカメラもぐっしょりと濡れ、いやな予感の天気予報があたり山陰地方は強い雨風…

諦めきれずに円山川を城崎に向かって車を走らせていると運転席の妻が「ほら、虹…」といって車を路肩に止めました。

私はあわててカメラを持ち出し虹が消えてしまわないことを願いながら夢中でシャッターを押し続けました。

山陰の鉛色の空にほんの少し覗いた青空を七色に染めた虹に感謝ー。

亀村俊二

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